特養介護職員 飴本 聖也 

 清住園に入職してから9年目の飴本です。就職当初は、何をしたらよいのか訳も分からず、ただ業務をこなすという日々が続いていました。何かわからないことがあれば、直ぐに先輩職員に尋ね、教わり、行動するだけの日々を送っていました。

 そんなある日、先輩の一言により、私の意識は大きく変わることになります。ご利用者様のケアについて分からないことがあり、いつも通り先輩に尋ねたところ、「直接本人に聞いてみて」と返答されました。普通に考えれば、この仕事はご利用者様あってのものであり、ご利用者様の心の声に目を向けるのは当たり前のことなのですが、それまでの私には余裕が無く、そのことに気付くことが出来ませんでした。それからは、ご利用者様と積極的に会話することにより、より多くの情報を得ることができ、より良いケアが出来る。そればかりか、会話を重ねるうちにご利用者様との距離も近づき、自然と笑顔がこぼれるようになりました。

 

 「ご利用者様=お客様」という考えでしたが、今ではとても大切な家族のような存在へと変わっていきました。大切な存在であるからこそ、ご利用者様との関わりを大切にし、ご利用者様のことを知り、ケアに繋げていきたいと思います。

 介護の仕事をしていると「死」にも必ず直面します。ご利用者様の最期を見届けることはとても辛いことであり、涙することもありました。しかしそれと同時に、自分よりも何十年もこの世で生きてこられた人生の先輩であるご利用者様の最期を共に迎えることは、私にとってとても貴重な体験であり、誇りに思います。

初めは何も分からなかった私も今年で9年目となり、今では従来型特養の全体を見渡し、業務に反映できるほどに成長することができました。ご利用者様には、ただ単に毎日を過ごしていただくのではなく、清住園に来て良かった、自分の人生は楽しくとても良いものであったと思っていただけるような職場づくりができるよう、日々の関わりを大切にし、満足していただけるケアを提供していけるように、職員一丸となってこれからも努めていきたいと思います。





地域密着型特養主任
 礒田 照子

 介護職という職業や介護現場を知ったのは、92歳の祖母が施設に入所したことがきっかけでした。祖母が入所してから毎週日曜日に施設へ面会に行き、嬉しそうな祖母の顔を見ていましたが「帰りたい、家がええわ」と言うようになりました。祖父が亡くなった後、92歳という高齢で一軒家に一人暮らし、材木店を営んでいた祖父と共に戦争を乗り越え共に苦労してきた祖母は、毎日仏壇にお茶を供え、手を合わし、お経をあげるのが日課でした。ある日、お茶をお盆に乗せ仏間に入ろうとした時、足を滑らせ大腿骨を骨折してしまいました。痛みで動けず電話までも行けず数時間が経ち、仕事帰りに毎日仏壇に手を合わせるために立ち寄る叔父が、転倒し動けなくなっている祖母を見つけたのです。それをきっかけに老人施設に入所する事になりましたが「お風呂が寒いんや」等、辛抱強い祖母が愚痴を言うようになりました。

 一年ほど過ぎた時、肺炎を起こし本当にあっけなく亡くなってしまいました。祖母の顔を見ながら、最期を家で終えたかったであろう… 寂しかっただろう… 祖母の最期をどんな思いで亡くなっていったのか…と思い私は日々を過ごしていました。

 私の生活環境に変化があり、介護職として清住園でお世話になる事になりました。時間が経ちご利用者様と向き合える余裕が出てきた頃から「介護」とは心で介護する事と身をもって感じました。他人ばかりの集団の中で、わがまま言えず自分を我慢しながら残された人生を生きている。私にはご利用者様がそのように映りました。その時、愚痴をこぼした祖母を思い出したのです。「これは愚痴ではないんだ、心の声なんだ」と…。

 介護の仕事にはデスクワークや身体介護など色々ありますが、ご利用者様が求めるものは「やさしい言葉」ではないかと確信しています。辛い戦争を経験し、食べ物も十分でない時代に苦労して子育てをしてきたご利用者様が最期を迎える時「いい人生だった、清住園でよかった」と思って人生の幕をおろして頂く事こそが私の目標です。家族と離れ、時には家族に捨てられたと感じていらっしゃるご利用者様も、職員がやさしく接し、穏やかに残りの人生を過ごしていただけたら嬉しいと思っています。

 私の個人的な気持でもありますが、ご利用者様にやさしい言葉を掛け、笑顔で接する事で、寂しい思いをさせ亡くなった祖母に謝っているような気がします。

 数年、共に過ごしてきたご利用者様が最期を迎えられた時、私は最期のお顔を拝見しながら「○○さん幸せな人生やった?」と心の中で聞いています。

 私は、介護という仕事を今後もこの思いの中で続けていこうと思います。



特養介護職員 中島 良介

私は、大学に入学するまで高齢者や障害者の方とほとんど関わることなく過ごしてきました。

 大学1回生の時、父親が身体障害者だという女性に出会いました。自分の身のまわりに障害者を持つ人がいなかったので、初めは戸惑いましたが、関わりを持つようになっていく中で、その戸惑いは消えていきました。車椅子を自在に操って家の中を移動し、私に向かって笑顔で優しく話をしてくれる。「なんだ、私達と比べて変わったところなんてないものなんだな。」と思いました。

 また、その人は家族で車椅子ラグビーのチームに所属していて、選手として参加できなくても裏方としてチームに貢献していました。身体に障害があっても、自分の好きなことに打ち込む姿に私は素直に感動していました。私たちが趣味にのめりこむのと同じか、それ以上に生きがいがあると思っているのだと感じました。

この頃には、どのような人でも私たちと何も変わらない「人」なのだと思うようになってきました。しかし、実際に身体や精神に障害を持つ人や、病気を患っている人が世間一般的に思われている「普通の人」と全く同じ生活を送る事に限界があるのが現実です。高齢者施設に就職し、福祉の現場を自分の目で見てみると、より一層その限界を感じました。それでも私は、すべての人がやりたいことをし、生きがいを感じ、人間として当たり前の人生を送る権利があると思います。これが本当に当たり前のことになって、それぞれが納得のいく人生を送ることが出来るサポートをすることが私の目標です。この目標に少しずつでも近づけるよう、これからも日々の介護の中で精進していきたいと思います。